早く起きた朝は

森尾由美似の男が綴る雑感

2600グラムの温もり

 

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二十歳を過ぎたくらい。大学は2年間で単位を取りまくったので時間割りはスカスカ。キャンパスも友達とバラバラになっていたのでひたすらバイトばかりをして、向かいにあったタワレコや隣のHMVに週5で入り浸り、夜な夜なドライブしたり飲んだりして遊んでいた、そんな頃。突然ミニチュアダックスの赤ん坊が知り合いから譲り受けた形で我が家の一員となった。

 


好奇心旺盛でやんちゃで甘えん坊なそいつは、名目上は一応姉が飼うということで面倒を見ていたが、性格も関係して、熱心にかわいがっていたのはその頃から母親の方だったように思う。

 


自分は先に書いた通り当時あまり家にはおらず、朝方にバイトや遊んでから帰ってきて寝るだけという感じでほとんど出歩いていた。愛犬の面倒を見るということに関しては家族の中でも完全に3番手、4番手という感じ。"犬は飼い主たちに対して順位付けをしない"という見解も近年ではあるみたいだけど、もしあったとするなら自分は完全になめられていただろうな、という立ち位置。

 


その後、大学卒業、就職で新潟、即辞めで舞い戻り、そして程なくして上京してしまったので、なかなか帰省しないタイプの自分に、人見知りのうちの愛犬は警戒し、関係性もたびたびリセット。しかし、「あっ、これ知ってる人だ」と気づくと尻尾をフリフリしてうるさいくらい賑やかに吠えて飛び跳ね、お腹を天井に向けてひっくり返り撫でてアピールをかましてくる。「かわいいところもあるじゃないか〜」とご満悦な気分に浸っていると、1分もすれば「さて...」みたいな真顔に表情を変えてスタスタと何事もなかったかのような態度でどこかへ去ってしまっていた。なんともドライな関係だったけどこれはこれで好きだった。

 

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月日が流れ、兄弟たちはみんな進学や就職や結婚で家を出て、家には両親と祖父母と愛犬だけ。そのタイミングで姉は母親に犬の世話も託していき、母親が子供たちがいなくなった家で我が子のように手をかけてかわいがっていた。

 


さらに月日が流れ、コロナ禍がなかなか終わらず、大何波がどうのこうの言いながら1.2年が過ぎた頃、父親の高所からの落下での怪我で入院、母親の体調不良の入院、祖母の介護や施設問題、そして愛犬が高齢によっていろんなところが悪くなり治療費も日々の世話も気を抜けないくらいの状況になっていた。

 


東京で威勢よくそれまでの仕事を辞めたはいいものの、たまたまタイミングが最悪過ぎて、その後の世の中の雰囲気・ムードにいまいち自分らしい暮らしが取り戻せていなくて悩んでいた自分は、何度か抵抗はしたけど結局先延ばしにしていた地元に戻る選択肢を一度選んでみることにした。

 


そこから今日までのおよそ2年間は、かつてのドライな関係は惜しまれつつも解消して、必然的に何をするにも愛犬と一緒だった。

 

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脚力が弱り寝床まで昇れなくなれば部屋を改装し、足が滑りやすくなれば家中の床は全てマットで覆った。散歩もできなくなったら家の中でどうやって運動したり気分転換できるか考えながら生活圏の部屋を変えて、ご飯をどうやっても食べないわがまま期間にはキッチンと部屋を何十往復もして加熱したり水分を加えたりフードを変えたりと気にいって手をつけるまで1食に1時間かかることも毎日ザラだった。

 


かつてはきちんと決まった場所にできていたトイレも、そこら中にするようになり、部屋の中はトイレシートで埋め尽くされ、それと共存できるように家族が寝る場所も作った。どうしても家に誰もいてあげられない時などは完全に反抗してうんちを気にせず踏んで自由に歩き回って悲惨な状況になり、床のじゅうたんやカーテン、毛布など1日に何度も洗濯する日々。

 

どこのお家でも大小異なりはすれど、日常茶飯事のことかもしれないがなかなか大変ですよね。心折れそうになる時だってある。でも愛くるしい。


途中、農園に数ヶ月滞在した際も農業に興味を持って一部分だけだけどすっかり詳しくなったのと同じで、犬という家族のこと、すっかりいろいろと調べて局所的にだけ詳しくなっていき、少しずつ意思疎通など呼吸が合っていった。あんなに僕に興味がなかったあいつも、毎日腕の中で抱き抱えられてご機嫌に昼寝したりり、早くご飯ちょーだいと携帯をいじってるところに駆け寄ってハァハァとおねだりしてくる。あと鼻水垂らしてるとこそっと服にこすりつけてきて知らん顔してバレてないと思ってるのもかわいい。

 


通院も週に数回。注射代やあれこれ試行錯誤したフード代やどこまで延命に向けての治療にするかどうかなど何度も頭を働かせた。

 


これは夕暮宇宙船(ハルちゃん)が昨年発表した漫画(各所からの反応の大きさを数字は物語ってるけど、数字とか関係なくまごう事なき名作)を読んだ時にいろいろ感じたことにも一部分だけ繋がるんだけど、名義上の飼い主である姉は子育てと仕事に忙しく離れて暮らしているし、実質ここ10年くらいはマンツーマンで母親が世話をし同じ部屋で寝ている。父はあまり得意ではないということもありお世話にはそこまで参加していないし世話をしながら目も離せないことの大変さをあまり理解していないようだ。治療費も祖母の介護費とかも含めると家計を苦しめるばかりなので、どこかで線引きしないといけないという悩みがあった。姉や周囲はなにか悪くなったら寿命として仕方ないというスタンス。心配性で世話焼きな母親はできることはなるべく全てしてあげたいと。目の前にかけがえない温もりがあると、どの意見も強く決断することがなかなかできなかった。

 


"思想と生活の筋を通すには経済的自立が必要で今の自分にはそれが欠けているということ"

 


"そんな考えや悩みも今目の前にいる命には関係がないこと。あるのは今そこに存在してくれている事実だけ"

 


漫画の作中のこんな発言を何度も思い起こしていました。ハッとしたし気持ちを正すことができた。

 

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ーー何度か命が危ないという時期も確実にあって、人によっては今日が最後に会えた日になりそうだね、って言ってたのに、持ち前の負けん気と生命力で季節を何個か超えてまた全然再会できたりするからなんとも頼もしくてかわいくて仕方なかった。

 


昨年の夏にとうとう余命1ヶ月も持たないと宣告されてからも秋を超え、冬を越え、どんどん体重は軽くなるけど、好奇心や甘えたさはおじいちゃんの癖に逆に増すくらいで、体調も落ち着いていて17歳、人間で言うと84歳ほどになった春先のある日、突然ガクガクと痙攣して顔つきや様子もおかしくなってしまった。時間をかけて様子は落ち着いたけど、水を飲む行動も自立する力の神経もあまりうまくいかないようだった。深夜にそうなった時は母親と自分で交代して抱きかかえて夜を明かし、数日は変化なく過ごしてきたが、3日目、4日目となるうちに1日のほとんどは起き上がらず目を閉じ、食事も受け付けなくなっていった。朝になったら息をしていないんじゃないか?そう思って日が昇る頃に様子を見に行くと穏やかな顔で体を覆っているタオルケットはやさしく一定のリズムで揺れている。どこにそんな力があるんだって思うくらいに気持ちが強い。

 


プライドが高かったからできるだけ母親や僕にかっこ悪いところは見せたくないらしく、寝ていておしっこがしたくて立ち上がれなくて失禁してしまった時はかなりショックだったらしく、落ち込んでプルプル震えて弱々しい声で吠えていて、駆けつけて無事だったこととその様が情けないサラリーマンのような哀愁に満ちていた表情で思わず安堵と共に笑ってしまった。そんなできごともそういえばあった。

 


容態が変化し衰弱してから6日目。身体の周りを汚してしまったらしく「大丈夫だよ、きれいにしようね〜」と身体を洗おうと母親が抱き抱えていたら、たとえ微かでもこれまで確かにあった反応がないことに気づき、人生を全うした最期を一緒に看取ったのでした。

 


覚悟もしていたし、ゆるやかに穏やかに眠りについたので、後日の火葬まですみやかに事は進んだ。うちの一員として家族でいてくれてありがとうと感謝ばかり感じていた。そしてこんな時に実感したくはなかったけど、葬儀屋さんとの段取りやお世話になった人への連絡やあれこれ、長男としてのムーヴに一切無駄がなくやれてしまったけど、家族や親戚のこういうしきたりめいたことはしばらくは御免だなーってなんとなく思った。もうちょっと、いやまだまだみんな元気でいてほしい。

 


ゆっくりお別れの時間も持てたし、人の意見や心の浮き沈みに流されやすい母親のことを心配していたけど、いまのところギリギリ寝込むことも体調を崩すこともなく過ごしていて少しほっとしている。

 


愛犬のために仕様を変えまくっていた我が家のあれこれを大掃除と荷物の整理をしながら大規模な模様替えして、ここ1週間から10日間くらいの特にバタバタした日々が落ち着きを見せたけど、まだ愛犬中心に過ごしてきた日々の癖が抜けず、いつも待機してかまってほしそうに顔を覗かせていた階段の上のゲートのところに廊下を通るたびに目線を送ってしまったり、食事を済ませたり帰宅したら、一度様子を見てあげなきゃという思考につい囚われたりしては母親と互いに笑っている。

 

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ーーごくごく個人的な家の中の話は本来そこだけでしておけばいいし、人によっては重かったり余計な話だったりする命や暮らしに関わることをわざわざわざ書き留める趣味は元々ないんだけど、触れちゃいけない話にするのもなんだし、毎日何十時間も過ごした家族との別れは当たり前に寂しいので、少し先の自分が今の気持ちやこの数年の暮らしを少しでも思い返すときに自分で読みたいなと思って文章につらつらと残してみました。

 


正直生活を犠牲にしたり苦しいときしんどい時たくさんあったけど、ベタだけどそれ以上に何事にも変え難いしあわせと温もりを与えてもらったので、自分はたぶん死ぬまでずっとそういう人生を選んでいく気がしています。大事にするもの、選択の仕方みたいなものは。

 


なんとなくこの時期に映画「i ai」の仙台上映のサポートと、とある音源制作をみっちりしていたので記憶と音楽が紐づいてそうだな。

 


自分がしっかりしなくちゃなーっていうのと、1番寂しいのは自分じゃないからと全然ふつーのメンタルでここ数日暮らせていたけど、忙しいのがひと段落して全部いろいろ思い出してこうやってまとめようと振り返りながら書いてたらもう鼻水ぐっしょぐしょ。終わり方も決めてなかったしどうしよ。

 

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とりあえず、このログインばかり求められる情報化社会で、パスワードを忘れた場合にたまにある"秘密の質問"は、すべて「あなたが最初に飼ったペットの名前は?」にしてあるから、もう少し自分が歳を重ねてボケはじめてパスワード忘れがちになってしまったら、その時は思い出せるように力を貸してね頼むわ、りく。

 


R.I.P April 4th,2024